東京大学日本語教育センター|Center for Japanese Language Education,the University of Tokyo

敬語とStyle

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日本語の動詞の後に、否定・時制・可能・使役……などをあらわすさまざまな要素が付くことはすでに見ましたが、人称に関係する要素は付かないのでしょうか。主語の人称に対応する要素が動詞の後に付く言語は、かなりありますが、日本語ではそのようなことはありません。つまり、日本語では、人称変化あるいは人称接辞はありません。主語を述べればそれでいいわけです。いや、わかりきっている時には主語を述べる必要さえないことは前に述べた通りです。 「人称接辞がない言語で、主語を言わずに、意味が誤解なく通じるものでしょうか」と疑問をもつ人もいるかもしれませんが、これが、結構通じるものなのですね。もちろん、心配なら主語を表現すればいいわけですが、実は、この問題-主語を言わずに、誤解なく通じるのか、という問題-には、敬語の話も関係してきます。このページでは、敬語honorific expressionsの話をしましょう。

1.「敬語はどうしても勉強しなければなりませんか。」

「日本語には敬語という厄介なものがあって、下から上へ使うんだそうだ。なんて封建的なんだろう。こんなものを習うなんてまっぴらだ。」という留学生が時々います。ですが、これは、かなりの誤解です。まず、敬語は、いつも下から上へ使うわけではありません。上から下へと使うことだって、いくらもあります。私が学生だったころの東大のある教授は、まことに碩学と呼ぶにふさわしい方でしたが、私たち学生に対しても本当に丁寧な言葉を使われたものです。現代の敬語は、かつての身分社会の時代の敬語とはかなり違ったものになってきています。「封建的だ」という思い込みは捨ててください。

「それでも、敬語は難しい。どうしても使わなければなりませんか。」という留学生もいます。

実は、ある割り切り方をしてしまえば、ノンネーティブの話し手の場合、敬語(すぐ後で述べる尊敬語や謙譲語)は、使えなくてもかまいません。もちろん、敬語を使うべきところで使わないのは、日本人の場合には、相手に与える印象がかなり悪いのですが、ノンネーティブの話し手が敬語を使えないことに関しては、日本社会はかなり寛容だと思います。

「ああ、よかった。じゃあ、敬語の勉強はしなくていいんですね。」いいえ、残念でした。そういうことにはなりません。なぜでしょうか。それは、相手が敬語を使って話してきたときに、意味がとれなくては困るからです。多くの日本人は、ノンネーティブの人の敬語の不使用には寛容であっても、「ノンネーティブの人に話す場合には、敬語を使わずに話してあげよう」などという配慮まではしないもので、容赦なく敬語を使って話しかけてくることがあります。日本人と相応のコミュニケーションをとるためには、少なくとも理解できる程度に敬語の勉強をすることは不可欠だと思ってください。

2.主語の代わりの敬語

「やれやれ……」と思う人もいることでしょうが、実は、敬語にはこんな効用もあるのです。つまり、「主語を言わずに、意味が誤解なく通じるのだろうか」という冒頭の問題は、実は、「敬語を使うことによってyes」という面があるのです。「日本語って、どんな言葉?」のページで、「わかっている名詞(+助詞)は言わなくてよい」という例としてあげた、

(1) いつ大使館へ行きますか。(When will you go to the embassy? )
(2) あした行きます。(I'll go tomorrow.)

というやりとりを覚えていますか。日本語ではyouもIも表現されていませんが、意味は通じます。ただし、(1)(2)の場合、確かに、(1)の主語はyou、(2)の主語はIだという可能性が高いものの、理屈の上では、ほかの主語と解釈できる可能性もあります。そこで、敬語を使って

(3) いつ大使館へいらっしゃいますか。
(4)あしたまいります。

と言えば、主語はそれぞれyou,Iだということが、一層はっきりします。

(3)の動詞「いらっしゃいます」(辞書形は「いらっしゃる」)はgoという意味の敬語です。敬語の中にもタイプがあるのですが、「いらっしゃる」は尊敬語subject honorificationというタイプの敬語で、二人称者を主語として使うのが最も一般的です。一方、(4)の「まいります」(辞書形は「まいる」)は、やはりgoの意味の敬語ですが、こちらは謙譲語humble expressionというタイプで、一人称者を主語として使うのが最も一般的です。そこで、(3)(4)のやりとりは、主語を言わなくても、それぞれ、you、Iが主語だとわかるのです。まあ、さらにいろいろな場合を考えれば、you, Iではなくyour husband, my husbandだったりする可能性もあるのですが、その場合にはそれなりの文脈が必要で、特別な文脈なしに(3)(4)のようなやりとりをするとすれば、主語はそれぞれyou,Iに決まると言ってよいでしょう。

敬語には、このように、表現されない主語を暗示する効用もあるのです。いわば一種の人称接辞的な役割を果たしているわけで、その意味でも、主語をはじめ名詞を言わずにすませることが多い日本語には欠かせないものなのです。敬語と、さまざまな言語で見られる人称変化・人称接辞とは、もちろん完全に同じではありませんが、このように似ている面もかなりあるので、そういう目で敬語を勉強してみませんか。

上の例を見て、英語のgoにあたる動詞として、日本語には「行く」のほかに、尊敬語「いらっしゃる」と謙譲語「まいる」があるのか、ということは、あらゆる動詞についてこの3つがあるのかな、つまり、動詞を3倍覚えなければならないのか……と、暗い気持ちになっている人がいるかもしれませんね。ご心配なく。たいていの動詞については、尊敬語や謙譲語の形は、規則的に作ることができます。「行く」など、ごく一部の動詞について、規則的でない形の敬語が使われているだけです。

なお、このページは、敬語の使い方の細部を説明することが目的ではないので、それには触れませんが(教室で勉強してください)、上級のみなさんで、敬語についてさらに詳しく知りたいという方には、拙著「敬語再入門」(丸善ライブラリー)を紹介しておきます。この本は敬語を言語学的に解きほぐしながら、使い方についても解説したもので、一応、日本人の読者を想定して書いたものですが、上級の留学生の皆さんからも好評を得ています。

3.polite と plain

狭い意味での敬語は上で触れた尊敬語と謙譲語ですが、このほか、別のタイプの敬語として、丁寧語polite expressionsというものもあります。尊敬語と謙譲語は「誰のことを述べるか」に関係する言葉ですが、丁寧語は「誰に対して述べるか」(つまり、話の相手)によって、使ったり使わなかったりします。これはまた文体styleの面での敬語といってもよいもので、polite styleという言い方を、よくします。

初めに習う「……です」「……ます」の言い方が、実はpolite styleの言い方なのです。その反対は(話し言葉では)casual styleです。たとえば、「行きますか?」「はい、行きます。」がpolite style の会話、「行く?」「うん、行く。」がcasual style の会話です。日本語の教室では一般にpolite styleを中心に教えますが、これに対して「私の研究室ではみんないつもcasual styleで話しています。どうしてpolite styleを中心に教えるのですか。」と言う留学生がいます。

ですが、本当に「みんな、いつも」ですか。注意深く観察してください。学生どうしでも学年や年齢が違えば、少なくとも一方はpolite style(「……です」「……ます」)を使っているのではありませんか。また、かりに本当に平等にcasual styleを使い合っている研究室だとしても、その人たちが他の人と話す場合はpolite styleを使っているのではありませんか。実は、casual styleを使って話しても失礼にならない相手というのは、かなり限られているのです。

先程、尊敬語と謙譲語については、ノンネーティブの人が使えなくても日本社会はかなり寛容だと言いましたが、polite styleに関してはそうではありません。polite styleを使うべきところでcasual styleを使うのは、日本人の場合はもちろん、ノンネーティブの人でも、かなり粗雑な印象を与えてしまうことになります。polite styleを中心に教えるのは、こうした考えからです。casual styleの習得を軽視しているわけではありませんが、両方を混ぜこぜに教えると無用の混乱を招きかねないので、ある時期まではどちらかに集中して教える必要があります。そうする以上はpolite styleのほうを選ばなければならないのです。

ところで、書き言葉の場合、たとえば論文・レポートや新聞記事などではpolite styleは使わないのが普通です。これをcasual styleと呼ぶわけにもいきませんから、plain styleと呼んでいます。polite styleの反対は、書き言葉の場合には(あるいは、書き言葉・話し言葉を通じていう場合には)plain styleです。

styleを指すのではなく個々の形を指す場合には、plain form,polite formという言い方をします。たとえば、「行く」はplain form、「行きます」はpolite formです。これは現在・肯定の場合ですが、過去・肯定なら「行った」がplain、「行きました」がpoliteです。それだけではありません。動詞の後には否定や、可能・使役・……などをあらわすさまざまな要素が付くことはすでに触れましたが、こうしたさまざまな形についても、実はplain formとpolite formがあるのです。

「わあ大変。でも、さっきの話だと、要するにpoliteなほうを使っていれば無難なわけですね。じゃあ、plain formは覚えなくてもいいということになりますね。これで行こう。」ですって? 残念でした。これがまた、そうはいかないのです。というのは、plainとpoliteというのは、文末ではstyleの違いなのですが、実は、文末以外の位置では「どんなに丁寧に述べようとする場合でも、ここは文法・文脈の要請上どうしてもplain formを使わなければならない」というところがあるのです。たとえば「あした行くレストラン」the restaurant where I go tomorrowというようにmodifying clauseの中ではplain formを使わなければなりません(詳しくは、教室で勉強してください)。

そういうわけでplain formとpolite form、両方を身につける必要があります。大変そうに思えるかもしれませんが、これは前回触れた動詞の活用の一部として、手順を踏んで身につけていけば大丈夫です。なお、plain form とpolite formは、前者のほうが短いので、前者をshort form、後者をlong formと呼んでいる教科書もあります。 politeの反対語として使われるため、plainについては「impoliteということなのですか。」という質問を受けることがありますが、今までの説明で、決してそういうわけではないことがわかっていただけたと思います。まず、今最後に述べた、文末以外で文法・文脈上の要請からplain formを使わなければならない場合は、impoliteではありません。また、文末の場合でも、書き言葉の、論文・レポートや新聞記事のplain style は、もちろんimpoliteではありません。話し言葉でも、親しい間で使うplain(casual)styleは、もちろん何の問題もありません。plain=impoliteということではなく、「文末でpolite styleを使うべき相手にplain(casual)styleを使って話すとimpoliteになる」ということなのです。

4.「んです」

丁寧さや感じのよさに関係する表現は、実はほかにもたくさんありますが、一つだけ、「んです」について触れておきましょう。「行きます」と「行くんです」。どちらも、英語などに訳せば、同じ訳になってしまい、その使い分けはなかなか難しいのですが、後者の「んです」の形を使えば感じのいい言い方になる、という場合が時々あります(いつも、というわけではありません)。たとえば、先生に対して、「あした、国の友だちが日本に来ます。授業を休んでもいいですか。」と言うのと、「あした、国の友だちが日本に来るんですが、授業を休んでもいいですか。」と言うのとでは、後者のほうがだいぶ感じよく響くと思います(この場合、「……んですが」の「が」も有効に働いていますが)。 日本語教育の専門家の中には、「外国人には『んです』は難しいから教えなくていい。」という意見の人もいるようですが、確かに難しい面はあるものの、今のような大事な面を持つ言葉ですから、こうした点を含めて、私たちのコースでは、できるだけ、その呼吸などを伝えていきたいと考えています。

大事な点のまとめ : 日本語学習へのアドバイス(3)
日本語学習で敬語は不可欠。
封建的だという先入観は捨てること。
1. 敬語は人称を暗示する。

いらっしゃいますか。(尊敬語→主語はyouが普通)
まいります。(謙譲語→主語はIが普通)
2. 2つのstyle(初めはpolite styleから)

行きますか?-はい、行きます。(polite)
行く?-うん、行く。(casual)

(以上は、「東京大学日本語教育センター・ニュース」35号に 掲載の菊地康人〈本センター教授〉「日本語の特徴を知って効果的に勉強しよう(3) 敬語とstyle」とほぼ同じ内容です。)

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